夫の行動に「なんか違う」って思ってた
例えば洗い物をしてくれたとき。
子どもと遊んでくれたとき。
「ありがとう」って言えばいいって、頭ではわかってた。
…けど、心では思ってなかった。
「それより洗濯物干してって言ったじゃん」
「遊んでるだけじゃなくて、片付けもしてよ」
そんなふうに、“今じゃない、それじゃない”ってモヤモヤしてた。
そのうち、夫がやってくれることを
素直に受け取れなくなっていた。
「なんで感謝できないんだろう?」と、自分を責めた日もあった
いい旦那さんだねって言われることもあるのに、
どうして私は、満たされないんだろう?
「ありがとう」を言うたびに、どこか嘘っぽくて。
「それくらいやって当然」って思ってる自分にも、
罪悪感があった。
気づき|それも夫なりの「愛の表現」だった
ある日ふと、思ったんです。
夫は、“私のお願いを聞く人”ではなくて、
“私のためにできることを、自分なりに探してやっている人”なんじゃないかって。
それが、
たとえ今やってほしいこととズレてたとしても、
彼なりに考えてくれてるってこと。
私は「私の思う通りにしてくれる人」を求めすぎて、
夫のやさしさや愛に気づけてなかったのかもしれない。
「ありがとう」を素直に伝えられたら、空気が変わった
その気づきから、私はちょっとずつ変わりました。
- 今じゃない、それじゃないと思っても、まず「ありがとう」って受け取る。
- やってくれたこと自体を見ようとする。
- 正解じゃなくても「うれしい」と伝えてみる。
すると、夫の表情もやわらかくなったし、
私自身の気持ちも、ラクになったんです。
尊敬って「完璧さ」からじゃなく「想い」に気づくことかもしれない
今の私は、夫のことを心から尊敬してる。
家族を思って、目立たないところで行動してくれる姿に、
ちゃんと気づけるようになったから。
尊敬って、「すごいことをする人」だからじゃなくて
「相手の想いに気づけたとき」に自然と芽生えるのかもしれないですね。
おわりに|感謝は、“受け取る力”から始まる
あの頃の私は、
夫のことをちゃんと見てなかった。
求めてばかりで、愛されていることに気づいていなかった。
感謝って、
“ありがとう”を言うことじゃなくて
“目の前にある愛を受け取ること”なのかもしれない。
あなたの毎日にも、
ちゃんと愛が届いているかもしれないですよ♡
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